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9月の読書メーター

読んだ本の数:3冊
読んだページ数:1069ページ

ジョーンズの世界 (創元推理文庫)ジョーンズの世界 (創元推理文庫)
★★★★ 地球と金星。ジョーンズの悲劇はその能力にあるという皮肉。
読了日:09月22日 著者:フィリップ・K. ディック,白石 朗
宇宙の操り人形 (ちくま文庫)宇宙の操り人形 (ちくま文庫)
★★1/2 表題作はいかにもディック的なのに終わり方がファンタジーみたくなるという珍しい?話。ちょっと話が散漫な気がしないでもない。あと残り3つの短編はあんまり。解説にも無理矢理感が出てる気が。
読了日:09月09日 著者:フィリップ・K. ディック
模造記憶 (新潮文庫)模造記憶 (新潮文庫)
★★★「この卑しい地上に」と「逆まわりの世界」が秀逸。前者はファンタジーがファンタジーのまま現実認識崩壊へと、つまりいつものディックに帰着する過程がホラーがかってるのが面白い。後者はレーナ・クルーンの小説でこんな話があったと思うけど、こちらの方が先やね。ホバート位相のはったりがいいと思う。ただ、頭の中で映像化すると妙な感じ。
読了日:09月05日 著者:P.K. ディック

8月の読書メーター

8月の読書メーター
読んだ本の数:6冊
読んだページ数:1847ページ

流れよ我が涙、と警官は言った (1981年) (サンリオSF文庫)流れよ我が涙、と警官は言った (1981年) (サンリオSF文庫)
★★★★1/2 ウサギの話が痛切。悲しい愛についての物語。ただ、タヴァナーの存在できなかった理由はないほうが良かったかもしれない。それだとSFじゃなくなるのか。
読了日:08月26日 著者:フィリップ・K.ディック
アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (1977年) (ハヤカワ文庫―SF)アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (1977年) (ハヤカワ文庫―SF)
★★★★ 10数年ぶりに読むと、割と直球のストーリー。クモの話が印象的。
読了日:08月18日 著者:フィリップ・K.ディック
組織の成果に直結する問題解決法 ソリューション・フォーカス組織の成果に直結する問題解決法 ソリューション・フォーカス
★★★ フューチャーパーフェクト。ふむ。
読了日:08月15日 著者:ポール Z ジャクソン,マーク・マカーゴウ
インヴィジブル・モンスターズ (ハヤカワ・ノヴェルズ)インヴィジブル・モンスターズ (ハヤカワ・ノヴェルズ)
★★★★★ 美しき仮初の女王ブランディ・アレクザンダー、それに必然として拾われるデイジー・セントペイシェンスの物語。「ファイト・クラブ」の幻影が実体をまとったことで、物語は一層深刻さを増しているような気がする。ありふれたがらくたのように連ねられる高級ブランド品・化粧品・ドラッグを含む文章のディティールがさらにこの小説の幻想を具現化する。退廃的で刺激的。ジェンダー論で語るなど生温く、何処吹く風で突き進む。慈しみをくれ。フラッシュ。 
読了日:08月13日 著者:チャック パラニューク
サバイバー (ハヤカワ・ノヴェルズ)サバイバー (ハヤカワ・ノヴェルズ)
★★★★★ 『僕らがカオスと呼ぶものは、僕らがまだ認知していないパターンにすぎない。僕らが偶然と呼ぶものは、僕らに解読できないパターンにすぎない。自分に理解できないものを、僕らはナンセンスと呼ぶ。自分に読み解けないものを、僕らは難解と呼ぶ。/自由意志など存在しない。/変数など存在しない。』(138p)諦念は既に存在している。そこから始まる。世界は閉じている。熱狂も全ては計画的な業にすぎない。ラディカルに突っ走る文体のリズムがものすごい。
読了日:08月06日 著者:チャック パラニューク
ファイト・クラブ (ハヤカワ文庫NV)ファイト・クラブ (ハヤカワ文庫NV)
★★★★★ 感想は書かない。「ファイト・クラブについて口にしてはならない。」
読了日:08月02日 著者:チャック パラニューク

読書メーター

エアベンダー

監督 M・ナイト・シャマラン 2010年 103分
公式サイト:http://www.airbender.jp/
2D字幕版で鑑賞。国立新美術館マン・レイ展を観覧して鋭気を養ってから足を運ぶ。
足は。運ばれねばならないのであった。一応自分はシャマラニアン(監督のファンをそーゆーらしい)なのである。日本でシャマラン大好きランキングが行われれば上位100人ぐらいには入るのではないかと憶測をしていたりもする。なので、予告編を見てどんなに観る気を削がれようが、IMDbの評価*1がけちょんけちょんであろうが、愛は無償であり、恋は盲目であり、忠誠は絶対であるからして。
シャマラン映画の個性は、

  1. 映像で描かれているものが、普通の視点を保ちながらも、全く違うものに塗りあげてしまう。
  2. 殆どギャグすれすれのところを渡り歩いてサスペンス(物語と言ってもよい)を構築する演出力。
  3. 独特の映像の質感

この3点が最も顕著に現れている現時点での最高傑作が「ヴィレッジ」「レディ・イン・ザ・ウォーター」なのである。
で、今回の「エアベンダー」である。自分の宿命から逃げようとしたら、100年氷漬けになっている内に自分の住まう国は既に滅ぼされるが、己の宿命に目覚め、守るもののために立ち上がる。基本はそんなプロットである。
多分東洋的思想に下支えされた世界観である。「多分」というのは、それはもう呼吸するように映画の中に偏在しているためで、そのために説明が飛躍している感がある。この辺はシャマランがインド系という出自からしてそれは今更語られるべきものではないのかもしれない。
それでもシャマラン的な物語が紡がれているということができるような気がする。それは、
他人のために己を排す、という精神が描かれているからである。それと「運命」を変えることなく受け入れるための物語というのがこの映画の骨子なのである。
今回敵役として排されている火の国の人々は一部を除けば、大体利己的な人間で、それにたいし主人公・アンは、己の運命に従い、改めて修行をし、自然と抗うことなく調和することで、人々を守ろうとする。そこを受容できるかが、今回の映画の評価の分かれ目のような気がしてならない。
その他良かった点、個人的に最も懐疑的だった「シャマランはアクションを撮れる呼吸を持ち合わせているか?」問題だが、基本、「型」を重視する(その正しい型を行うことで自然のエネルギーを利用することができる)ことで、派手なアクションを「回避する」ことで上手く消化されていた。もともと3D上映前提で撮られたであろう、やや広めの空間をロングショットと長廻しで撮るということで独特の空間処理がなされているあたり、見応えがある。火の国の人々との戦いよりも、土の国の人々が喝采をあげると、地面がぐいぐい持ちあがる、といったシーンの方が面白いのはまあ御愛嬌である
一応シリーズ化前提で映画は作られているようだが、これならシャマランに任せてもいいかもしれないと思えるだけの出来ではあった。まあ、こっちに戻っておいでよ、というのが本心だったりするのだけれども。

告白

監督 中島哲也 2010年 106分
公式サイト:http://kokuhaku-shimasu.jp/
後味の悪い話、というぐらいの前提知識で観に行ったら、エライものを魅せられた感がある。疲れた。
中島哲也監督の作品を観るのは、「下妻物語」以来。「嫌われ松子の一生」「パコと魔法の絵本」を抜かしているのは自堕落な自分である。
基本、原色バリバリでどぎつい色彩の画を撮ると思っていたのだが、今回は終始ダークトーンでありながらコントラストのくっきりとした処理が施されており、このトーンが映画の黒さを象徴的に扱っている辺り、色彩感覚というのは誤解で、必要に応じてきちんとルックを安定させることができる器用な監督という印象に変わる。またスローモーション繋ぎも得てして下手にならざるをえないと思っていたが、ここまでやってくれるといっそ清々しい。
一つの事件を異なる視点から語り直していくという構成はもともと好物なので、文句のつけようがない。このような構成で大事なのは前のシーンを再び違う視点から映すことで、もうひとつの事実が浮かび上がる、というようなものなのだが、今作ではそれは個々人の真実の「在り方」として使われている点が上手い。誰もが知った事実とその人だけが知り得た事実を映像でどう分配するかのさじ加減が絶妙なのだ。
で、問題の話なのだが、これが抜群に嫌なところを描いていく。人殺しの話である。しかしそれ以上に人を「壊す」話である。そして紡がれてゆく個々人の個性を「個人の力量」という観点で描こうとしているところが特徴的である。松たか子は、中学生の狭い行動範囲、浅はかな思考、中途半端な知識を知りぬいて出来る限りの行動を行い、復讐を完遂しようとする。少年Aは知識は十分だが、思考回路は中学生のそれを逸脱しない。少年Bは少年が少年である故の無垢さゆえに凶行に走らざるを得ない。ミズホはもう一人の自分を持ちながらも、少女的だからゆえか走らないし、それ故騙される。木村佳乃は、目を閉じ切ることで世界と対峙する。これらはとても狭い「世界」を描いた物語なのである。
描かれた画が全て真実ならばこれほど理解しやすいものもないだろう。しかし、彼らはそれぞれの物語の語り部であり、都合良く曲解を挿入しているあたり、真実は茫漠としている。それだけに松たか子の最後の一言の切れ味が光る。
傑作。

東京ナイト

監督 鍛冶昇 1967年 82分
昭和の銀幕に輝くヒロイン[第54弾]和泉雅子/ラピュタ阿佐ケ谷
goo映画: Movie × Travel — 旅のような映画 映画のような旅
"サヨナラがーいーえなーいよるー 若い二人のランデーブー"
映画主題歌の歌詞が知りたいと思って調べたら、映画の映像+歌詞つきという映像があった。素晴らしい。時代も時代なので、GSだと思ってたら、作曲はベンチャーズだそうで。

映像見てもらうと大体どんな話かわかると思うが、適当に言う。京都の舞妓さん小はな(和泉雅子)が家出する。彼女は運送会社のトラックに乗せてもらって上京するのだが、その頃テレビの大学対抗歌合戦の準決勝を勝ち抜いたバンドのメンバーに運送会社の息子がいて、家出目的の昔駆け落ちした姉を一緒に探してもらうという話。
家出する冒頭、なぜ舞妓の格好で家出しなければならないの?と思ったのだが、その疑問には全く触れないあたり、この映画の意図の象徴なのかもしれない。
「東京ナイト」とゆー曲をフューチャーしてるので、基本音楽映画というか、油断してるとすぐ歌いだす。息子と小はなの出会いもガレージで練習するバンドにいきなり彼女が入り込んできて歌いだすという展開だったりするとか、青年の恋する気持ちは噴水をバックにバンドが演奏してるしとか、主題歌は都合3回も流れる等々。
でもそれにつられていい加減な感じで観ていると、それなりに姉と妹の確執があって、舞妓さん稼業を継ぐ問題にも焦点を当てて、「姉が今苦労してるけど幸せ」ということを小はなが納得して和解に至り、自分が家業をつぐ決心をするという要点はきちんと押さえられている。なので、その間に少々脱線して和泉雅子はカワイイなあとか思って見ながら、最後は舞妓さんの姿でバンド大会に出場するのだろうなと思っていると、それをきちんとやってくれるし、最後の帰京(京都の方へね)の電車の中で舞妓姿でいることなども、絶対おかしいのだけど、妙にバンドのメンバーたちのシーンとのモンタージュでそれなりに幸せになる映画なのであった。

何も変えてはならない

監督 ペドロ・コスタ 2009年 103分
公式サイト:http://www.cinematrix.jp/nechangerien/
一応先日、監督の講演会にも言ったのに一本も映画を見ていないのもどうかと思うので言ってきた。
モノクロ映像の中殆ど暗闇が画面を占めている。自然光だけであんなに不自然な陰影がつくはずはないので、少し照明を添えているが、その添え方が真っ暗な中に強烈なコントラストを炙りだしていて美しい映像が堪能できる。その中にぼんやりと時にくっきりと映るジャンヌ=バリバール。カメラは彼女を右から捉えたショットが凄く多い。大半はそうなのではないだろうか。右側からカメラを、そこから反時計回りに90度回転させた位置から照らしているであろうライトで、ジャンヌ=バリバールの顔の左側を明るく映し、右側は深く影を落とす。そのようなシーンが多い。これは女優と歌手という二面性のある女性の一側面にスポットライトをあてているのだと思った。
音楽の良し悪しや彼女が歌が上手いのかどうかはよくわからないし、映画として出来がいいのかは正直よく分からなかった。なのだけども、映像は深く印象に残っている。大体そういう映画は後々まで僕の記憶に残る。

ガールフレンド・エクスペリエンス

監督 スティーブン・ソダーバーグ 2009年 77分
公式サイト: http://www.tfc-movie.net/girlfriend/
高級エスコート嬢チェルシー(サーシャ・グレイ 現役ポルノ女優の一般映画デビュー作、ということになるそうで)のクライアントは経済的エリートたち。チェルシーは単に春を売るだけでなく、クライアントのよき話相手として振る舞い、食事をともにすることも多い。さらに恋人のクリスがいる。彼は彼女の商売が何かを知った上で理解しており、とても小洒落たアパートに同棲して、なかなか上手くやっている。
彼女を語るキーワードを2つあげるならば、「上昇志向」と「人格学」である。前者は彼女のビジネスがよりよく稼げるように行動するということ、自分のプロフィールをのせたウェブサイトのページランクがあがるように、雇用者(?)に追加料金を払ったり、ちょっと怪しげだがビジネスチャンスのために、別の雇用者とアポイントメントをとったりする。後者は初めて聞いた言葉だが、相手から情報を聞き出して自分との相性を推し測るといったもので、それに基づいて行動しようとする。対してクリスもまた現状にくすぶりと限界を感じており、ジムのトレーナーとしての仕事からステップアップしてマネージメントにも乗り出したいとも考えている。
で映画全体を取り巻くテーマの一つは「経済」である。舞台の時期はアメリカ大統領選挙を控えた2008年秋であり、リーマンショック後のニューヨークが舞台である。彼女やクリスが経済的立場のステップアップを測る中、彼女のクライアントは時代が変わってしまったこと、経済的ゆきづまりを彼女に吐露する。クリスの方はジムの顧客一団からラスベガス旅行に誘われたり(これは少し飛躍があるかな)する。
それらのテーマは対話を通じて挿入されていく。クリスがラスベガスへ向かう小型ジェット機の中では、大統領選挙、つまり「政治」についても話が交わされるし、チェルシーは雑誌編集者らしき男とレストランでの会話で、「性」−これは映画設定のメタアプローチでもあるが−などの話題をかわす。単純にこれはチェルシー恋愛模様についての物語でもあるので当然「男と女」もあるし、劇中に「批評」についての思索も挿入されていく。
とかなり話は入り組んでいる。その上時系列をバラバラにして、結果を映し、その後別のシーンの後で、原因を明らかにする、みたいなつくりになっている。取り扱われるテーマは結構ありきたりなものだが、それらが直接係る人−エスコート嬢、アーティスト、経営者−が対象になっているところがソダーバーグの社会と映画の接続への嗜好が垣間見えて興味深い。
なので、エスコート嬢が主役の話なのにちっともエロティックな要素がない、というのもあくまで社会システムの話をしているのでしょうがないのである。それを期待して観に来る人には申し訳が立たない、といえば立たない。ごめんなさい。監督に代わって謝ります。
それでも殆ど内面を見せないチェルシーがインスピレーションを感じて初めて旅行に行くことを承諾したクライアントに現地キャンセルをくらうシーンの佇まいはそれだけにシンプルな悲痛が伝わってくる。
くどくど書いたが、映画としてはかなり人を選ぶ。前述のように、単純なものをわざわざ複雑にしているので、その動きとリズムが合う人でないとちょっときつい。が、それさえ乗り越えれば、ミニシアター系の映画を作る時のソダーバーグ独特のチルアウト系のテンポは軽快さをまし、監督本人による撮影の構図、ガラス越し、ガラスを鏡として扱うシーンに車内シーンの不思議なカメラワークなどが楽しめる。
ただ、ソダーバーグを観たことがないなら監督の他の作品をお薦めします。