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トリコロール/白の愛

監督 クシシュトフ・キェシロフスキ 1994年 92分
goo映画: Movie × Travel — 旅のような映画 映画のような旅

純白のウェディングドレス。雪に覆われた荒野。小悪魔ジュリー・デルピーの白い肌。ポーランドからやってきた男は、言葉の不平等の中で愛を失う…。男と女の恋のかけひきを、時に軽やかに、時にリリカルに描いた三部作中最も軽妙な作品。
(早稲田松竹のチラシより抜粋)

後述の「青の愛」より先に観たので、こちらがキェシロフスキ初体験。「青の愛」の方が熱狂的ファンがつきそうな映画だと思ったのに対し、こちらはなんというか地味。離婚したせいで、人生のどん底まで達した男がなり上がって愛する妻・ジュリー・デルピーを振り向かせようとする話。ジュリ・デルピーは登場シーンは少ないものの、女優の格で映画をひきしめている。回想でリフレインされるウエディング姿のジュリ・デルピーを追いかけるカメラワークの多幸感はすばらしい。それだけに男の凋落からの這い上がりも変わらない愛情が首尾一貫している。
主人公・カルロと彼に殺人の仕事を依頼するミコワイの関係が白眉かな。カルロに殺そうとさせたのはミコワイ自身。しかしカルロは空砲を撃った。死の恐怖を知ったミコワイとそれを教えたカルロ。その2人に芽生えた友情は後々まで続くが、殺害未遂シーン後の、晴天下の氷原で靴ですべりながら談笑する2人のシーンはこの映画で最も多幸感にあふれたシーンで生の充足を得ることの素晴らしさを謳いあげている。またこれをコメディタッチで撮るところがこの監督のやさしさみたいなものなのかなとも思ったり。後々記憶に残るシーンである。
話を長々書くのも疲れてきたので最後、収容所に入れられたデルピーと外からそれを見上げるカルロのシーン。デルピーは手話のようなしぐさをしたがちょっと意味が分からなかったのだが、カルロの流す涙には、長年の苦労や冒頭との逆転関係など工夫が雪どいていながらも、表情で愛は赦しだということを静かに語り上げる。ちょっと厳しいし哀切も漂うラストだけど、これも一種のハッピーエンド。なかなか良い映画だった。

トリコロール/青の愛

監督 クシシュトフ・キェシロフスキ 1993年 99分
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「自由、平等、博愛」というフランス国旗の象徴をテーマに構成された『トリコロール』三部作の一作目。ジュリエット・ビノシュが、夫と子供を事故で亡くした妻の絶望と再生を見事に演じる。93年ヴェネチア国際映画祭金獅子賞、主演女優賞、撮影賞受賞。
(早稲田松竹のチラシより抜粋)

個人的に傑作。
どうでもいい話なんだけど、「びのしゅ」を変換すると「美の主」になった。これはい誤変換ですね。
で話なんだけど、ジュリエット・ビノシュが入院(?)していて、テラスにいると、突然音楽が鳴り出し、背景がブルーを基調とした照明になる。当然これは実際に起こっていることではなくで、音楽は幻聴だし、ブルーになるのは幻覚。しかしビノシュはこれを主観的に感じている。これは何度も劇中リフレインされる演出なのだが、ここで「はい前衛的ですね、ぶっちゃけダサいですね」と取る人もいれば、「これはすごい」と思う二者に分かれると思うだが、後者の自分はこれは凄い映画かもしれないという予感がして思わず身構えてしまった。
それ以前もいい。交通事故で夫と娘を失ったことによる喪失感で、病室を抜け出て、病院の窓を割って、看護師が対応している間にナースルームに忍び込んで、薬棚から取り出した錠剤を大量に飲み込むも、吐き出してしまう。その一連を眺める女看護師。この一連のシーンが現状を受け入れられないビノシュと周囲の目という関係性を端的にショッキングに描いているシーンは秀逸。
「喪失を乗り越えた再生はできる」というのがこの映画のテーマで、こういうテーマの映画は自分の映画史的に好きなシチュエーション(ex.「息子の部屋」「CLEAN」)なので、これはキタ!と思った。失意に陥った人間がする行動パターンとしてここで使われるは清算。屋敷を売り払い、夫が欧州統合祭のための協奏曲の一部を棄てて、パリで新しい生活を始めようとする。新しい生活を始めるが、屋敷に飾ってあった青のモビール(天井からつるす飾り)を自分で購入してしまっている。そりゃ忘れたくても、喪失の哀しみが癒えるほど十分な時間もなければきっかけもなかった。そんな中でも仲良くなった娼婦とのエピソードや事故現場にいた少年がもっていた夫の中身のペンダントのエピソードをはさみながら、喪失感とは関係なく挿入されていってしまう。心と環境の不一致。いらだちのはよくわかる。そして、夫の共同作業者オリヴィエが処分されていたはずの楽譜をもち、テレビに映っている。そしてそのなかに見知らぬ女のスチール。女は旦那の愛人であって、あったところ夫の子供を身ごもっていた。この辺りの厳しい顔をするビノシュがまた美しいのだが。
「青」が強調的に使われているが、それ以上に音楽の使い方が秀逸。ターニングポイントになると音楽が奏でれられると、フェイドアウト、別のシーンに切り替わるかと思ったら、フェイドアウト前と同じ構図。この使い方は結構斬新だなと思った。心境も変化を強調したものなのだろうが、そのとき映るジュリエット・ビノシュの微妙な表情が物語をぐっと押し上げている。一流女優の面目躍如。そんな中ビノシュもオリヴィエに協力し、亡き夫の未完成曲を完成させる。オリヴィエはビノシュに恋心を抱いているのは彼女は知っている。完成させたときの電話のシーンは一旦切ってかけ直す。それだけのシーンに彼女が乗り越えた何かがかいまみえるようで、美しい撮影を元にとても力強いシーンだった。
そして、ラスト演奏会で終わるのかなと思っていたら、出来上がった曲をおそらくフルでつなぎ、ビノシュとオリヴィエの愛の抱擁、娼婦の横顔、夫の愛人の妊娠検査シーンと流れるように画面を暗くしたところでカメラ移動して(当然編集で巧く繋いでるのだろうけど)、音楽とドラマが実に巧みに融合していてそのクオリティと、ビノシュ個人の物語が様々な人々の物語に拡散、着地していく様は実に圧巻。ビノシュという個の物語が大きなでも小さな物語に広がりを魅せて終幕する。感動する。人は個人ではどうにもならなくても、偶然の出来事、仕組まれた出来事への感情を吐露することで再生できるのだ、という力強いメッセージ。そうこの映画は力強いのだ。キェシロフスキ恐るべし。他の作品も要チェックせねばなるまい。