Nostalgic(?) Stack!

This has 83 different functions - 84 if you want to write the diary.

不良少年

監督 谷口千吉 1956年 99分
東宝娯楽アクションの雄 谷口千吉監督の仕事/ラピュタ阿佐ケ谷
goo映画: Movie × Travel — 旅のような映画 映画のような旅
色々とやばい。不穏。気が滅入る。荒みきっていてちっとも幸せな気分になれない。そういう風に作っているのだ。だからそれで何の問題もない。この映画が気に食わない、不快、という人がいるのも当然わかる。ただ単に僕と相いれないだけのことである。
昭和30年代を描いた最近の映画と言えば「ALWAYS 3丁目の夕日」。観たことないので、作品自体についてのいちゃもんは避けるが、多分郷愁を描いてるんだと予想している。重ねて言うと、描かれているのは現在から俯瞰した「かつて輝いていた過去」そういう映画が存在するのは決して悪いことではない。人間いいことだけ憶えていたいから。とは言え、やはり当時に「現在」を描いたこの作品の根は相当深い。
戦後、昭和30年代。戦災孤児で不良な少年たちを収容する少年院に纏わる話。戦後直近の社会の暗部を描いている。冒頭、「この映画に出てくる少年院は架空のものです」みたいなテロップから始まる。公開当時でも結構やばい感じの映画だったのかもしれない。
かつて不良少年で少年院出で、現在は少年院(便宜的にこちらを少年院Aとする)の教師をつとめている男・西田。これまでも何人か自分のもとから卒業生を出しているが、今回出所した少年の事故死が発生して、その後の警察や在院者たちとのやりとりを通じてその知らなかった心の内に疑念を抱く。迷った西田はかつて自分が更生した少年院(少年院Bとする)の恩師・石坂(笠智衆)のもとを訪れ、少年院B時代の教え子たちのもとを訪れる。最初に訪れた男は鉄工所でまっとうに働いているが、貸衣装業も行っている。しかしその貸衣装は出所後に空き巣で手に入れたもので、いくら現在まっとうに働いているとはいえ石坂は弱冠の疑念を抱く。そして現在靴磨きの元少年院Bの少年や、自分をしたっていたが現在パン助をしている少女・銀子に複雑な感情を抱く。最初に出会った教え子の発案で石坂先生のもとで同窓会をしようとするが誰も来なかった。その間、少年院Aでは色々悶着があり、特に反抗的な態度を撮る光一(久保明。作劇上の役回りとして実にいい顔をしていた)に責められるばかり。西田は希望や熱意を失いかけるが、キャバレーのバーテンで働く少年院Bの教え子は、同じ教え子で、キャバレーで踊り子として働く敏子を結婚することを知る。しかし敏子は夫婦同意のもとコールガール的なこともやっている。いよいよ西田が精神的に参ってくるところへ…以下略。
殺伐としている。戦後の匂い、悪臭というよりもねじくれてぐちゃぐちゃにかきまわされて、すっかりモラルは崩壊しており、それを気に留めようともしない教え子たち。倫理観あふれる西田との相いれなさとその崩壊した価値観の根深さは、多分時代の空気を読み取ったかなり正確なスケッチなのではないかという説得力が感じられる。郷愁ではなく「現在」を描いているのだから当然である。2010年に目を背けずに2010年の映画を作ればそれなりの文化的問題点が噴出するだろうから、この点は正直である。嘘をつく必要性もないのだが。
とにかく荒みきって戦場の焼け地の延長線上に立っている人々の話である。この正直さは誠実さとして受けとめられるが、観ていて「何だか嫌なものみてるなあ」感がずっと蠢いていた。悪いことではない。ラスト、一見些細な光明を見せてくれるが、こちらとしてはそれまでの教育の敗北と裏切りを散々見ているので、全然安心できないのであった。
全体として重いながらテンポはいいと思う。ラスト前の乱闘シーンが一回目は真夜中の水たまり、二回目が明け方の浅い池と、両方とも水回りであることに何か意味はあるのだろうか。ただ白黒映画なので、泥にまみれた西田と少年たちが血まみれになっているようにも見えるので、そういう比喩なんだろうか。
映画は善意にみちあふれているわけではないのだねやっぱり。秀作。